飛騨と提灯とわたし

文化や伝統が、好き。

モノづくりが、好き。

職人さんへの、憧れ。

オリンピックまでに、何かしたい。



そんなオモイを抱きながらも、

妄想にふける毎日。



そのオモイや妄想が、

「提灯」とつながった。

ここ「飛騨古川」は、

祭り文化が今も息づく町。

そんな場所で生まれ育ったわたしは、

祭りが大好きな、やんちゃ娘に。

そんな私は、

衝撃的な事実を知ることになるのです!





「提灯が飛騨市で作られていない(xox)!?」






まさか!と思いました。
言われてみれば、飛騨市に提灯屋さんは1件もありません。
(数年前まではありましたが。。。)

それじゃ、どうしてるの?
そう、遠路はるばる、県外の提灯屋さんが年に1回?取りに来てくださり、
一括して修理を請け負うのだそう。

これを聞いた時によぎったのは、
郡上の下駄のはなし。




飛騨は春まつりがとっても多い地域です。
3月になると、街のあちこちから練習する祭囃子が聞こえ、
4月になると、連日のようにどこかで祭りが執り行われています。

祭りでは、
各家の玄関に、写真のような提灯(▲)が飾られ、

祭り地域の目印となる祭り旗には提灯(▼)が付いている。

神社の入り口や、街中にも、たくさんの提灯。(▼)



さらに、ユネスコにも登録された「古川祭」では、
屋台には夜になるとたくさんの提灯が装飾され、
起し太鼓でも、もちろん提灯を使います。




そう、こんなに消費されているんです!
なのに(T-T)



どうして提灯屋さんが1件も無くなってしまったのか聞いてみると、
大きな原因は後継者問題でした。
(他にも原因はいろいろありましたが)
あとを継いでくれる人がいないかと、
近い商売である建具屋さんや、地元の商工会、岐阜にも足を伸ばしたりと、
とにかく何年も探してみえたのだそう。

それでも、見つからずやむおえずたたんだということでした。


それを聞いて、
モノづくりの憧れと提灯が、
私の中でつながりました!


それでも、やっぱり、
職人へのリスペクトがありすぎて、
「今のこの思いは一時的なものじゃないのか?」
「途中で飽きて辞めてしまわないか?」と
自問自答を繰り返しました。


何度自問自答をしても答えは出ず。。。


そこでまずは、1つ作品を作ってみることに!


どんな作品を作ったのか!?
そのはなしはまた今度(^^)



ーーーーーーーーー

飛騨古川提灯 復活への道

飛騨古川に、提灯屋をふたたび。 hida furukawa cho-chin.

0コメント

  • 1000 / 1000